概要

"D.C." は "The District of Columbia"(コロンビア特別区)の略で、南アメリカのコロンビア共和国と同様、アメリカ大陸の「発見」者クリストファー・コロンブスにちなんだ名である。日本のマスメディアなどでは、ワシントンD.C.のことを単に「ワシントン」と呼び、ワシントン州のことはワシントンD.C.との混同を避けるべく常に「州」を付して「ワシントン州」と呼ぶのが一般的である。なお、漢字による当て字は華盛頓で、華府と略す。 コロンビア特別区は1790年7月16日に設立された。ワシントン市(The City of Washington)はコロンビア特別区内の独立した地方自治体であったが、1871年の連邦法により、この領域全体を統治する単一の政府が設立され、ワシントン市とコロンビア特別区が統合された。 ポトマック川の北岸に位置し、南西をバージニア州に、その他の方角をメリーランド州に接している。人口は572,059人(2000年国勢調査)[1]であるが、労働時間帯には近郊からの通勤者により100万人を超える。ワシントンD.C.を中心に、メリーランド州、バージニア州北部、さらにはウェストバージニア州の極東部2郡をも含む首都圏は4,796,183人(2000年国勢調査)[2]の人口を抱え、アメリカ合衆国内で7番目に人口の多い都市圏である。北東約65kmにはワシントンD.C.より人口規模の大きい、メリーランド州の最大都市ボルチモア(人口651,154人、2000年国勢調査[3])が位置している。ボルチモアとワシントンD.C.の都市圏をあわせたボルチモア・ワシントン複合都市圏(正式名称: ワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏[4])の人口は7,572,647人(2000年国勢調査)を数える。 アメリカ合衆国憲法1条により、各州とは別に、恒久的な首都としての役割を果たすため連邦の管轄する区域が与えられている。アメリカ合衆国政府の三権の最高機関(大統領官邸である「ホワイトハウス」、連邦議会議事堂、連邦最高裁判所)や中央官庁などの行政機関が集まるほか、多くの国の記念建造物や博物館(スミソニアン博物館など)も置かれている。同市のナショナル・モールにおける博物館群は質・量ともに世界でもトップクラスであり、観光資源にもなっている。ポトマック川の河畔にある桜の木々は、アメリカ合衆国内で有数の桜の花見の名所である。 172か国の大使館に加え、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、米州機構(OAS)、米州開発銀行、汎アメリカ保健機関(PAHO)の本部も置かれている。労働組合、ロビー団体、職業組合など、各種団体の本部もある。 連邦議会がワシントンD.C.における最高権限を有しているので、同区の居住者は各州の居住者と比べ自治権を与えられていない。連邦議会に関してワシントンD.C.は、下院に本会議での投票権を有しない市代表(代議員)を選出しているものの、上院議員の議席は与えられていない。ワシントンD.C.が州であったとすれば、面積ではロードアイランド州に後れて最下位、人口では最下位から2番目(最下位はワイオミング州)であるが、人口密度では1位、州民総生産では35位、また黒人の比率では1位であり、国全体のマジョリティ(非ヒスパニック系白人)とマイノリティとは反転している。 首都としての機能を果たすべく設計された、計画都市である[5]。 現在、ワシントンD.C.においては死刑制度が廃止されている。

市域

ワシントンD.C.は、全部で68.3平方マイル(177 km2)の市域を有し、そのうち61.4平方マイル(159 km2)が陸地、6.9平方マイル(18 km2、10.16%)が水面である[43]。特別区は、当初100平方マイル(260 km2)の面積を有していたが、1846年に南の一部をバージニア州に返還したため、この面積となっている。現在の市域は、メリーランド州から割譲された領域のみから成っている[44]。そのため、ワシントンD.C.は南東・北東・北西をメリーランド州に、南西をバージニア州に囲まれている。特別区内には、三つの大きな天然の河川がある。ポトマック川、アナコスティア川、ロック・クリークである。アナコスティア川とロック・クリークはポトマック川の支流である[45]。 合衆国首都設置法は、ワシントン大統領に、東はアナコスティア川の河口までの範囲で新しい首都の正確な位置を選ぶ権限を与えた。しかし、ワシントン大統領は、区の南端にアレクサンドリア市を含むようにするため、この連邦の領域の境界を南東に動かした。1791年、連邦議会はワシントン大統領の選んだ区域を認めるため、合衆国首都設置法を修正し、これによりバージニアから割譲された領域も含まれることとなった[46] 。この場所は、多くの利点を有していた。ポトマック川は特別区まで航行可能であり、船による交通が可能であった。また、アレクサンドリアとジョージタウンの既成の港は、市にとって重要な経済的な基盤を提供した。さらに、内陸の特別区は、北西部領土に近かった[46]。1791年から1792年にかけて、アンドリュー・エリコットとベンジャミン・バネカーが特別区の境界を調査し、1マイルごとに境界石を設置した。その多くが今も残っている[47]。 都市伝説として伝えられるところとは異なり、ワシントンD.C.は沼地を埋め立てて建設されたわけではない[48]。確かに二つの川とその他の小川に沿って湿地が広がっていたものの、特別区の領域のほとんどは農地と樹木に覆われた丘から成っていた[46]。特別区内で、自然の状態で最も高い地点は、海抜125メートルのテンリータウンである[49]。最も低い地点は海水面と同じポトマック川である。ワシントンD.C.の地理的な中心点は、北西地区の4番ストリートとLストリートの交差点付近に位置する[50]。